まず、表紙の背景となっている白について、
この白色は他の本の持っているような普通の白ではなく、
明らかに神聖なる神界の白です。
神界の白は白米の白のようであるとも言えましょう。
(なぜなら、米には、神界のフォトンのエネルギーが入るからです)
3D的にはこの白は止まって見えますが、
もっと繊細な観点からは、すべての白の領域がこんこんと湧き出づる
泉のごとく動いているようにも見えます。
根源の白き光は、すべてが中心であるのです。
それが「天照」、という意味なのです。
マルテンの極意なのです。
その中心の御柱に日の丸菊と地球が佇んでいます。
御柱=中心です。
最も古くて、最も新しい姿です。
もはや、ここで輝いている地球は
3Dの地球ではありません。
永遠の本当の地球の姿です。
地球という星は全くさまざまな人種、
体験の入り交じった類稀な星ですが、
その星がすべてを、すべてのレベルを包括して
佇んでいるのです。
これはまさしく、最大・最終のアセンションの成果、
全宇宙の統合ということです。
そして、このほしのエッセンスは「神人」です。
このほしの住人であり、本質である
神人の胸の中心には、日の丸菊=国魂の紋章が輝き、
そこから放たれる黄金の光は完全に、
日の元の国土、黄金龍体と一体化しています。
これが
「龍と鳳凰ひとつなる」
の真意であり、天鳥船そのものです。
神人とは、根源天照皇太神界の戸、真の日戸であり、
鳳凰とは、天照皇太神の御神体の一つの形なのです。
日の元の国は、最も古くして新しいほしの雛型であり、
太陽神界直系の御国なのです。
この表紙は読者の神人としての未来の
Top&Coreの姿の集合体=八十鈴と言えます。
それ故に、私たちはそのあまりに美しき調和に惹かれ惹かれるのです。
白・金・赤の三色は三位一体ですが、その意味はあまりに深淵です。
根源の白き光は永遠の芸術家、創造主であると同時に、キャンバスです。
故に、その完全なる分神たる私たちの白き分御魂も、
永遠の芸術家、世界なのです。
芸術家はキャンバスの中に、鏡の中に究極の美を落とし込むのです。
`創造'の第一光線たる赤は、赤ん坊を生み育てたいという母の意であり、
始まりと終わりを一つにむすんで、
我が子と自らの懐=源にて抱き締めあう、
永遠の至福に必ずや導くという絶対の意志、責任でもあります。
始まりの子宮にあるやすらぎは、終わりの神宮の平安。
神=人。
上=下。
平安京がまことのみやこ。
私たちがイニシエーションにて、強き誓願を打ち立てるのも、
この創始からある皇御親の願いと一つになるためです。
これが、人が神の雛型であることの真意です。
人がこの願い抱かざれば、親の願いも叶わず、
人の願いが親の願いと重なれば、
人は自らが神の全き分御魂と思い出します。
このように、思い出すならば、人は、創造の主、芸術家となり、
思いのままに弥勒世を描き、それがあらわとなります。
この赤の意志は、真直ぐなる、御柱なのです。
神を一柱、ふた柱と数えるのはこの意味なのです。
この柱のあらゆる中心から、周囲にあまねく広がる慈愛の奇跡。
これは、菊花の息吹のごとく、金色の光は円満に広がります。
皇御親の質を御魂がそのまま受け継ぐならば、
一つの御魂も親のようであります。
これは、菊の中心とひとひらの花びらのようです。
皇御親は菊の核たる核。
御魂はひとひらの花びら。
その御魂が熟すれば、ほかの御魂の核となって導くでしょう。
菊の花の黄金の光のつながりは、かくのごとく無限に連なっています。
かくして、君が代とは常しえに続いていくのです。
黄金はそれ故、全き愛なのです。
L.サナンダは、根源神界の使者として、
天界にて、それを伝え広めるお役なのです。
その責務の壮大さは甚だしく、自ずと赤き御意志と不二です。
力愛不二。
常に、日の丸の赤と菊は白に包まれています。
菊の中心に米が潜むはそれ故です。
あかは、始まり、源の「あ」に「かー」の息吹が吹き込まれています。
「明かり」ということでもあります。
かくして、すぺてに遍満する、真白の光とは、
すべてを生かさしめる命の源です。
すべては皇御親が和の内に。
すべてはマルテンの輪の内に。
そこが和が家、輪がうち。
太鼓、うちならして
八十鈴、なりひびけ
天鳥船、へときはなて
ひとつなる根源から、
ひとつなる根源へ向かって
永遠∞無限に・・・
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